どうもおなじみナナちゃんですこんにちは
次の爪はこれにします
さて、今日のナナちゃんが考えてたことは
ナナちゃんを愛せないナナちゃんの話
わたしは極端に自己評価が低いってことに
最近気づいた
わたしの口癖は、こんな自分でも、とか
こんな自分が、とか。
自分は自分が大嫌いだから
自信が無くてこんな醜い自分で
前に出たら他人に失礼だと思ってて
外に出るのは最低限にしてた
あとはね恋ができない
デートに誘われても
自信がなくて行けない
興味がない人となら普通にいけるんだけど
(デートってわけじゃなくてもね)、
本当にいいと思う人と行けない
こんな自分で嫌われたくない
こんな自分じゃ恥ずかしくて会えないんだ
デートで隣を歩いたなら
申し訳ないと思ってしまうし
ここまで壊滅的に醜い彼女を
連れてる相手に失礼だと思う
わたしが好きになるのさえ申し訳ない
いつもわたしはこうやって
他者の評価を気にしながら生きてる
自分がこうやりたいとか、
こうなりたいとか、
そういうのが他者の評価で
いつもブレてしまう。
だからこんな自分でもいいって
言ってくれる人に
安心するし、依存する
人間は、沢山の価値観や文化と共存してて、当たり前も普通も全員全部違う。
自分の親だって友達だって自分と全部一緒じゃないし過去や生い立ち、経験とか色々違う
誰かと意見が違っても否定されても相手のルールを押し付けられてもそういう人もいるねって理解してあげようとすることはできるし共感してあげようとすることもできる。
どんな人がいても受け入れるしもちろん自分だって受け入れてほしい
そうすれば「赦す」という大きな愛の形も
実現する、赦しって簡単そうで
とっても難しいから
だからだれかを赦せて何かを乗り越えて少し楽になったり、解放されたりして少しづつ自分を褒めていこう少しづつ自分を愛していこうって思えた
それだけです。
ナナ
いいね!変わりに押して下さったら嬉しいです
0コメント